市民劇場 VOL.200 豊橋演劇鑑賞会会報 (2007年7月2日発行)
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■私が出会った「演劇鑑賞会」 |
私と演劇鑑賞会との出会いは高校の演劇部です。入部した時にパンフレットをもらいましたが面白そうだと思いながらも、帰宅時間や会費などに不安を覚え、せっかくの勧誘を断ってしまいました。けれど、例会当日に一緒に行かないかと誘われ、入会を決めました。一年間の継続という条件も二カ月に一度ということが幸いし、今では鑑賞会の存在が当たり前の生活となっています。
でも、毎例会全てに出席することは私にとって難しいことです。体調を崩して行けないこともありました。後で行った人に話を聞いて本当に悔しい思いをしました。
鑑賞会の良い所を聞くとほとんどの会員の人は、一緒に行った人と後で感想を言い合うのが良いのだという答えが返ってきます。私もそう思っています。でも、もっと良いと思うことがあります。それは話し合いながら考えることです。ただ言って終わりではなく、会話や思考を発展させるための「3名」以上の会員で構成されるサークルの存在です。どうして「3名」が最低ラインなのか、ということが分かったときに、私は心の底から「いいなあ」と思いました。
劇の好みは人それぞれなので、正直楽しい例会だけではありませんでした。でも、そんな時でも楽しもう、と思いながら見たとき何らかの得るものがありました。本当にささやかなものですが、鑑賞会を通じて得たものをこれからも大切にして行きたいです。
女神の空 小林 弘依 |
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■中部・北陸ブロック統一で2009年も魅力ある例会を! |
■内容
9月5日から7日までの3日間、秋のサークル代表者会議を開きました。計8回開かれた会議には、154サークル160名(参加率43%) 参加しました。会議のテーマは@,09年の例会企画づくりについて、A鑑賞会におけるサークルについてでした。出席した会員から今回のテーマにかかわる重要な問題が提起されました。その一つは、,09年の4月以降も例会場である勤労福祉会館は存続するのか、二つめは、企画について、ブロック推せん作品は、例会としてすでに決まっているにもかかわらず、何故アンケートを実施するのか、というものでした。
例会場の問題については、今のところ愛知県からも豊橋市からも何の回答も得られていない以上、今後も存続するように働きかけを強め、例会企画についてもブロックに足並みを揃えながら、魅力ある例会ラインナツプをつくり上げていくことも確認し合いました。
企画アンケートについては、中部・北陸ブロック17団体が同じ作品を例会にする統一例会を実現することで、各団体がブロックに結集して鑑賞運動を推し進めていく意義を説明しました。統一例会を前提に、約1年間かけて各団体の役員会を中心に提案された要望作品をブロック幹事会が検討し、年間の例会作品の並び具合や財政的な問題も考慮した上で厳選した作品がブロック幹事会推せん作品であることを詳しく説明しました。しかし、演劇鑑賞会はサークル・会員の合意なくしては活動の前進ははかれません。サークルによる合意形成を決定づけるためにアンケートが実施されることを再確認しました。サークルの話し合いで、鑑賞会でしか実現できない独自の演劇文化を創造する楽しさをアンケートを記入しながらみんなで実感しましょう。
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■2009年ブロック幹事会推せん作品 |
1・2月例会劇団スイセイ・ミュージカル サウンド・オブ・ミュージック
3・4月例会 劇団文学座 初 霜
5・6月例会 劇団俳優座 三屋清左衛門残日録
9・10月例会 こまつ座 兄おとうと
11・12月例会 劇団民藝 静かな落日
※ 7〜8月例会に劇団NLTの「ハーヴィーからの贈り物」を統一例会にしていく方向で現在検討中です。
「サークルアンケート」を必ず事務局まで届けましょう! |
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■ご冥福をお祈りします 女優 南風洋子さん |
8月19日、今回の例会『明石原人』に出演される予定でした劇団民聾のベテラン女優、南風洋子さんが膵臓(すいぞう)がんのためお亡くなりになりました。享年77歳でした。
南風さんは、宝塚歌劇団出身で、その後劇団民曇で活躍されました。『奇跡の人』、『オットーと呼ばれた日本人』、『火山灰地』など数々の舞台に出演。86年には『噂の二人』のマーサ役で紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞されています。今年7月に主演された『林の中のナポリ』(山田太一作)が最後の舞台となりました。 |
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■船津 基さんへのインタビュー
7月例会 青年劇場公演「銃ロ−教師北森竜太の青春−」北森竜太役
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インタビューは、7月4日(水)昼公演の楽屋に入る直前の船津さんに30分間じっく日ソお聴きしました。
*青年劇場「銃口」 の主人公役を、二〇〇二年初演で指名された時のお気持はどんなものでしたか。
うちで演じると決まってない何ヶ月か前に先輩から「こんな本があるよ。」 と言われ読ませてもらっていたのが「銃口」との出会いだったんです。いざ演じると決まって「北森竜太役は一体誰が演じるんだろうな」と気になってました。で、自分になってみて凄く嬉しかった。それと意外にあっさり決まるんだなというか、本当に僕でいいのかなと思った。僕も初めての主役だったものですから、そのプレッシャーと二つでしたね。
*北森竜大役で苦心された所は?
あれだけの2冊分を舞台の中で二時間分に凝縮させる中で完璧には描き切れない所が出てくるんですね。例えば中国戦線の満州で、兵隊にいって、どんなことを見てきたのかとか、原作は事細かに人や曹長とのやりとりを全部書かれているんです。二時間では満足に描き切れてない所を補わなくてはいけない事が割と大変だったなと思います。それと教師生活ですね。実際に三浦綾子さんが教鞭をとっていた歌志内にイメージハンティングに行ったんです。炭坑の町で実際に教鞭をとる事はどんな事か、自叙伝に描かれている場所を探したり、駅の近くの公衆浴場に子供達と一緒に入る三浦綾子さんを思い起こして考える事が苦労でした。
*それは、仕事がオフの時に出掛けるのですか。
ええ、「銃口」が決まってから夏休みを利用して行きました。向こうで三浦さんにほんの一学期だけ教えてもらった方とか同僚の先生に会ってテープに採って話を聞いてきました。
*昨年韓国公演をされた時、教科書とか靖国問題が起こっている中で向こうのメディアの反応は?
もの凄くて、何でこんなに来るのかと思う程、楽屋にもカメラが入ってインタビューしてもらったり、それがニュースで流れました。初日の打上で、放映されたニュースをテレビで見て変な気分でした。
ニュースキャスターが「次のニュースです。日本の劇団、青年劇場が、三浦綾子原作の銃口という作品を持ってやって来ています。」という伝え方。どのマスコミも拷問とか取調べのシーンに敏感なんです。ニュースのトップは竜太が竹刀でいじめられている所が流れていたんです。向こうにも日本の治安維持法と同じ様な、国家保安法があって、敏感になっているんでしょうね。ニュース全体はとても好意的で演出の堀口さんの話を長々と伝えてくれたり、劇団の思いを理解してくれていました。ただ、一方で 「貴方は俳優の仕事で演っているのか。」という質問をされて、過去に日本の国がした事や平和は劇くらいで解決するような生易しい事ではないんだよと言われているような厳しい反応も来ました。24ステージの中では数十人という観客でやった時もありましたが、日本と違って恥ずかしがらずにスタンディングオーベーションをやってくれたり高校生も反応が凄く一所懸命みてくれました。
*御自身の高校生時代は、どんな生徒でしたか。演劇との出会いは?
高校演劇部からです。大学も演劇学科にすすんで、殺陣のクラブに入っていました。日本の大学で唯一のものです。体育会系のノリで、上下関係が厳しく、先輩には真田広之さんとか映画関係のいろんな人がいます。僕も殺陣のために大学通っている所がありましたね。高校時代は僕はあまり友達がいませんね。演劇部員というのは女生徒から陰の方で笑われていたという思いがあります。イジメられてたというのではなく、おかしな行動をする奴という感じで、モテたことは一回もないですね。だけど殺陣の時はモテたですよ。
*大学を出られてすぐ青年劇場に入られたのは?
卒業する時にはここと決まってましたね。情報をくれたのは父親で、父自身がアマチュア演劇を演っていたのでウチは反対みたいの無かったんですよ。日芸を紹介したのも父ですし…。初めてなりたいと思ったのは小学校三年の時だったと思います。学芸会の「アリパパと四十人の盗賊」のオーディションに六人位の中で誰よりも大きい声を出して主役を取りました。父は青年劇場の友の会会員で僕が出ていようがいまいが観に来ます。
*理想の俳優さんとか、あの人の様になりたいという役者は?
イヤー僕ね、それが無いんですよ。「この人というのが無いんです。只、「この人みたいになりたい。」と言われるような俳優になりたい。でも遠い話ですよ。
*演劇をやってよかった事、大切にしているものがありますか。
入団と同時に旅公演が付いていて、その価値が解ってなかったんですが、韓国や日本の各地にまわっていって、お客さんとこういう風に遇う事が素晴しい事なんだと再確認してます。「銃口」という作品が心と心をつなぐ先生の仕事の大切さを扱っているんですが、演劇も人間の心と心をむすぶ仕事で、それが素晴らしい事なんだ、これを大切にしていきたいなぁと感じます。この役をやってるから
だと田心います。
演劇への大きな夢を誠実に築き上げていらっしゃる素敵な三十代の若者でした。五十才までバック転が、できるよう今も稽古を続け、即成の価値でない常に変容していく主体性を維持しようとする「新しい人」でもありました。
三人姉妹 辻
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